
住まい再考

京都の庭園を鑑賞し説明を聞く時、「借景」という言葉をよく耳にします。借景とは、はるか遠方の景観を、手前の庭園の構成として活用しながら、その内容を高めることです。
しかし、借景の庭を作ることは、見るほどに易しいものではありません。私も庭の背景として美しい遠景があれば良いと思っていましたが、そんな安易なものではないようです。
空、山、森、家、というように、庭には必ずバックがあります。借景は、それをそのまま見せたり一部を隠したり、あるいは植栽によって色々な構成を計りながら、前庭と緊密に関連づけて、全体として内容のあるものにまとめ上げなくてはならないからです。
日本人は、室内から望む庭に大きな自然の景観を想像して鑑賞したり、さらに、遠方の景色をも自庭に取り込んで大事にしてきたのでした。景観の美しさに価値を特別認める民族だと思います。たとえ一坪であっても、庭のついた家を持ちたい、という気持ちがわかります。
また、日本人は他処の家を訪問した時、通された客間と同じくらいに、あるいはそれ以上に部屋から見える庭をほめることが常です。これも、自然に対する深い思いがあるからなのでしょう。
しかし、宅地事情の変わった昨今、室内からの遠景を庭に活用できるほどの、宅地に余裕はなくなりました。一般住宅で、庭の向こう側に関連づけて見せたいような遠景を望むことなど、不可能な時代です。
そんな中でも環境の良い場所に新築をし、部屋からの景観に満足していたのに、暫くすると景観が変わってしまって、がっかりしている方がいます。誰もが自分の知らないうちに、自分自身で景観を損ねていることに気付かないのでしょう。お互いに、自分が景観の一部であることを自覚する必要があるということです。
借景は元来、常に建物の内部から鑑賞されることを前提として庭園に用いられた、技法でした。これを、視点を変えて、我が家の外観を含んだ景観の美に変えたらいかがでしょうか。我が家の外観を「借景」に提供しようとする、お互いのための家造りです。
降幡廣信














