
住まい再考

松本の土蔵造り風の古い旅館の建物が取り壊されることになり、先般新聞に発表され、大きな反響がありました。
そこで今回、その建物に思いを持っている人々のために、別れを惜しむ見学会が催されました。民間の一旅館の建物だということから、主催者側は、当初学術的価値相応の200~300人の見学者を予想していたのです。しかし、当日は、見学会開始前から人々が訪れ、終了の四時までに、予想を遥かに越えた800人の人が詰めかける結果になりました。
訪れた人達の内、520名の方々のアンケートによりますと、異口同音に、取り壊されてしまうのが惜しいという言葉でした。行政がどうして保存してくれないの、という言葉も多くありました。
このように、一般の人達の建物に対する価値判断は、我々専門家とは違っていたということになります。
我々専門家は、建物の学術的価値で判断してしまいがちです。一般の人達には専門的な事はわかりません。心と直感で判断しているということでしょうか。
その第一は、なれ親しんだ物が消えてなくなる時に味わう心の淋しさです。街の一隅にあって、明治の時代から今日までの長きにわたって生き続け、街の景観の一部となって、市民ばかりでなく旅人の心にも強く焼きついていたその建物が消えてなくなるのですから。
建築は造られたその時代ならではの時代背景を負って生き続けています。明治に造られた建物と、同じ味わいのものを今日造ることは不可能です。それは、造られるその時代が違っているからに外なりません。
明治・大正・昭和初期という時代に造られた建物には、かつての日本の良き時代の育ちの良さが感じられます。今日、ぎすぎすした時代に造られる建築にないおっとりした雰囲気です。その原因は、心に余裕のある時代に、自然界の本物の材料が吟味されて用いられ、職人の心と技が豊かに込められているからです。そんな建物の中にある、「古き良き時代」を懐かしんで、800人もの人々が訪れたのでしょう。
降幡廣信














