
住まい再考

正月のお料理に、添えられていた白木の割箸が、新しい年を迎えたことを見事なまでに教えてくれました。
たかが、白木の木片ですが、杉柾の見た目の美しさ、割った音色のさわやかさ、さらに手に取り唇に触れて、そこにある清浄無垢の白木の素肌美を教えてくれたのです。身近にあって、これ程までも、正月気分に相応しい演出者は他にはないと思いました。
白木の割箸は、日常何気なく用いているのに、どうして特別に正月らしく感じるのか不思議でありません。その原因は、時により、場面によって不思議な変化をもたらす木の神秘性にあるのではないでしょうか。
私達が訪れる時感じる、神社や寺院の神秘的な荘厳さは、そこを取り巻く樹木によるところ大です。又、神社の「ご神木」には、自然に手を合わさせ、頭を垂れさせるものがあります。これらを通し、昔から木は紙が天から降りてくる「よりしろ」と考えられていたこともうなずけます。
このように、樹木に対する思いは、木が伐られ木材になってからも引き継がれます。神社の、「お札」はその代表的なものです。今日の時代を象徴している自動車の中に神社からの木片の「お札」が祭られているのも、木材はただのものではないと納得の上のものです。人工材料では代わることのできない木材の神秘性によるのでしょう。
かつて、天然の建築材を用いて家を造ってきた日本人が、鉄やコンクリートによる人工材料の方が優れていると云って、人工材料の家に住む時代になりました。しかし、建築材料は強度が全てではありません。人にとっては、日常の心や、体を思いやってくれる材料の家でありたいものです。
鉄やコンクリートを木と比較した時、大きな違いは、鉄やコンクリートは、人の心をひきつける何かが欠けているということです。鉄やコンクリートから感じるものは、只の物質でしかありません。しかし、木材は、生命が与えられ、生きたあかしの年輪があって、同じ年輪の木材は二つとしてありません。同じ人が二人といないのと共通しています。
木の神秘性はその辺に源があるのでしょうか。時により、折にふれ、木の家は不思議に変わり、不思議な美しさを見せてくれます。木の割箸が、正月突如として変わったように。
降幡廣信














